ちょこっとだけ、ポエミーなこと書いてみます。
【華やかで品のある髪色が派手髪】
【当たり前から一歩踏み出した面白いスタイルを】
をモットーに、東京は学芸大学駅から徒歩4分の Al Chem という美容室にてカラー技術ではなく僕の作るデザインをご提供しております。
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専門学校を卒業し、国家試験にも受かっていざ美容師に!
本当に入りたかったお店は新卒取ってなくて諦めたけど、面白そうな環境に行けたからまあ良し。
頑張ろう!
…そう意気込んでいる過去の自分。
その思いは思い掛けない形で打ち砕かれましたね。
お陰で、まぁまぁな期間ヒキニートしてましたよね。
マインクラフトと艦これが生き甲斐でしたね。
貯蓄が底を付きそうになって止むを得ず就活。
京都の1店舗目では殆ど何もできないまま。
ボーッと美容師1年目を過ごしてましたね。
転機となったのは専門時代の先輩からの誘い。
アシスタントが足りないってことで来て欲しいと言う先輩の言葉に、ちょっと救われてたりしたのかね。
横浜のお店に移ったタイミングが丁度その会社の商材がガラッと変わるタイミングで。
なんかやる気に満ち溢れていた自分は、当時アシスタントながらに50万近くの店販を売っちゃったりして。
アシスタントカリキュラムも1年で殆ど終えちゃったりして。
22歳、当時最年少にしてシャンプーソムリエを受講、資格を取ったり。
懐かしいね。
当時は謎の自信と空回りした向上心で、脇目も振らずに”ただスタイリストになる為”に必死でしたね。
そんなカットカリキュラムに入るあたりでSHIROBAKOと出会えたことは、自分の人生に於ける奇跡であり大きなターニングポイントであったと思う。
制作進行として周りに振り回され、デスクとして少し高いところから周りが見えるようになって悩み葛藤する宮森あおいに自分を重ね。
そこで初めて考える”自分は美容師として何がしたいのだろう、何に成りたいのだろう、どう在りたいのだろう”、と。
それは丁度、モデルを呼んでも良いと言われるようになった頃で。
学生の頃から好きだったブリーチ在りきのカラーをさせてもらったりするようになって。
段々と、自分が本当に好きなことが見え始めてきて。
そんなタイミングで、お師匠さんの存在を知り。
カラリストという在り方があることを知ったんだよね。
で、もうその瞬間から、こう成りたいって思いが溢れて。
「カラリストに成りたいのはいいけれど、それはスタイリストになってから」との取締役からの言葉に、後先考えずに辞めて。
顧客なんてほぼ0のまま、カラリストとしての教育を受けてすらいないまま、カラリストとして生きていきたいという思いだけで、元々入りたかった秋葉原のお店に雇ってもらい。
けれどその時はまだ、カラリストと名乗っているだけの存在。
今思えば、知識ばっかりで技術が伴っていない状態で、あの頃作っていたものを今見てみると恥ずかしいくらいの物ばかりで。
でも、根拠のない自信だけはあった。
縦尾先生の「若者が根拠の無い自信持たなくて何を持つんだっつーの!」って言葉に背中を押されて。
自分は間違いなく日本で一番ブリーチの上手いカラリストになる、なんて思って必死に毎日を過ごしていたんだと思う。
そんな思いで1年ちょっと。
何故かお師匠さんをはじめとする、カラー界隈のすげぇ人たちと接点ができ。
まだ全然、技術も知識も経験も未熟な自分に、色々な声をかけていただけるようになり。
気がつけば、一丁前に人前でカラーをするようになっていた。
毎日ただ只管に、もっと面白くて楽しい髪色を作りたくてブリーチとカラーをしていたら、知らない間に自分の周りに沢山のすごい人達が、仲間と呼べる存在がいて。
その中でも一際、自分の普段の仕事とは全く違うベクトルで凄え奴がいて。
Twitterで絡むようになったそいつと、何故かまあまあな規模の飲み会をしたら、その2ヶ月後には2人で群馬まで小旅行。
月一必ず顔を合わせるようになった。
一緒にセミナーを企画して。
こいつと仕事したら、絶対面白いだろうな。なんて思ったりして。
そんなそいつが、独立するって言うもんだから、即答で俺も一緒にやるなんて言っちゃって。
タイミングがタイミングだっただけに、まあまあ揉めたし迷惑もかけたと思ってるし、申し訳ない気持ちは勿論ある。
まだ何も無かった自分を受け入れてくれて、勝手に成長していくのをただ黙って見守ってくれたことに対する感謝は今も忘れていないし、あのお店が無かったら今の自分が無いと断言できる。
けれど、自分の人生を生きているのは他の誰でも無く、自分でしかないのだから。
自分の生きたい生き方が出来ないのは、生きていないのと同じだから。
自分の生きたい方に行くことに何の迷いも恐れも無くて。
ただ、今思えばもう少しやり方もあっただろうなとは思う。
前のお店にもお客さんにも迷惑かけたからね。
でも、そんな時に助けてくれる人もいたりして。
自分がお店を辞めるタイミングがオープンに間に合わなくてどうしようかと思っていた時に、お師匠さんに相談したら快く受け入れてくれて。
銀座のお店には3ヶ月しかいなかったのに、さもオープニングスタッフのごとく存在できたのは、スタッフのみんなが本当にいい奴らだったからだと思う。
銀座での3ヶ月間は、自分の人生でもトップクラスに思い出深い期間。
何てったってあのお師匠さんと一緒に働いているんだから。
技術レベルも日本トップクラスで、銀座という土地柄接客のレベルも高くて。
技術も知識も人としても、学ぶことが沢山あった3ヶ月。
たった3ヶ月だけど、その前後で作品のクオリティとか全然違ったからね。
で、今。
頼もしい相棒と、付いて来てくれたあの子と。
敬愛する仲間たちにも助けられ、大切なお客様達に恵まれて。
楽しいだけじゃ無いけれど、今までで一番楽しい毎日を送っています。
とまぁ、ここまでが君が美容師になってからの6年間の総まとめ。
たった6年で、君はこんな風になりました。
まだまだ技術も知識も未熟で、失敗ばかりしているけれど。
やりたいことや成りたい自分、こう在りたいという美容師像は少し輪郭を帯びてきたよ。
最後に、これからの自分へ。
失敗も挫折も、怖いかもしれないけれど。
本当に怖いのは、成りたい自分になれないことだから。
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